2004年新春 山のホールコンサート
2004年1月4日(日)  2:00pm
ヴァイオリンの新星 ローマン パトチュカリサイタル


ローマン・パトチュカ(ヴァイオリン)

1981年チェコJihlava生まれ。5歳から故郷でKarel Prchalにヴァイオリンを学ぶ。その後、プラハ音楽院で
Prof.D.Zarubovaに、プラハ芸術アカデミーでProf. I.Strousに師事。Kocianコンクールでの入賞が注目され、
そのソリスティックな才能が国際舞台で花開くことになる。オーストリアでのマルティヌーコンクールで1位、
プラハマルティヌーコンクールで1位、ドイツワイマールでのルイ.シュポーアコンクール、プラハ”Talent of
the Year" 、ベートーヴェンコンクールなどで特賞を総なめにする。また、「プラハの春」国際音楽祭で最高位となり、
マルティヌー基金、Klein基金を受けることとなる。その結果、チェコ国内はもとより、オランダ、ドイツ、イタリア、
アメリカなど広域に足跡を残し、内外でもっとも知られたソリストとなる。弦楽器王国チェコで次代を担う期待の新星である。




長柄 伸子   ピアノ

桐朋学園大学音楽部演奏学科ピアノ専攻卒業。ウイーン音楽コンクール・イン・ジャパン・セミファイナリスト。ウイーン・フィルコンサートマスター R.キュッヒル氏の伴奏、香久山PTAコーラス、「ララ・ソアーベ」伴奏で市内でも活躍。



M.ラヴェル        ツィガーヌ
A.ドヴォルザーク     ロマンス ヘ短調 op.11
             マズルカ ホ短調 op。49
J.S.バッハ        パルティータ 1番 ロ短調 BWV.1002
P.チャイコフスキー    ヴァルス・スケルツォ op.34

<アンコール>
F.クライスラー  ウィーン奇想曲
 スケルツォ
E.エルガー
 愛のあいさつ、op12
          プログラムノート

 J.S.バッハ(1685〜1750) 彼の生涯は(1)アイゼナハ時代(幼少時)、(2)アルンシュタット=ミュール ハウゼン時代、(3)ワイマル時代、(4)ケーテン時代、(5)ライプティヒ時代 に分けることができると思われる。ケーテン時代に作曲されたこの無伴奏曲は、 この上なく制約された表現手段によって前人未踏の領域を開拓した。ヴァイオリン をポリフォニック(多声的)に扱うことはバッハ以前にも、イタリアやドイツで行 われていた。しかしバッハはこの楽器に四声のフーガや複雑な和音進行を用いるこ とによって想像を絶した内省の表現を成し遂げた。パルティータ(組曲)はいろい ろな舞曲を調性を同一にして構成されている。

 E.ブロッホ (1880〜1959) スイス生まれでアメリカのユダヤ人作曲家。ニーグンはヴァイオリンとピアノの ための組曲全3曲のうちの第2曲である。その作風に3つのユダヤの詩、イスラエ ル交響曲、ヘブライ狂詩曲など、強くユダヤ民族的な特色を出す。彼の音楽は伝統 的宗教音楽や民族主義的ユダヤ音楽でなく、旧約聖書の世界への霊感から生まれ ユダヤ精神による音楽である。

 M,ラヴェル(1875〜1937) ツィガ゙―ヌは、ヴァイオリンとピアノのためのラプソディーでチャルダーシュ 形式を用いている。「演奏会用狂詩曲」という副題を持ち、ジプシー音楽の諸要素 とヴァイオリンの高度な名人芸で成立している。ヒューマンな感受性をしのばせ た彼がロマンティシズムの方向を見せ始めた頃の作品がこのツィガ―ヌである。

 P.I.チャイコフスキー(1840〜1899) ワルツはウィーンで流行してから今日まで親しまれている3拍子の舞曲である。 スケルツォは軽い性格の声楽曲あるいは器楽曲である。チャイコフスキーは並 外れた音楽的才能を持っており、ぺテルブルグ音楽院で直接ルービンシュティン に師事したことが大きな転機となる。そこでは西ヨーロッパ音楽の伝統的手法を 充分に学び数多くの大曲を生み出した。ピアノトリオ「偉大なる芸術家の思い出 に」はその師に捧げられたものである。他にたくさんのピアノ、ヴァイオリンの 小品があるが大曲の陰になってその捨てがたい味わいが見逃されがちでありop.34 もそのひとつである。

 A.ドヴォルザーク(1841〜1904) ロマンスとは物語風の有節曲で英雄、愛の冒険などを表現する。マズルカとは3 拍子のポーランド舞曲音楽である。ドヴォルザークは、チェコ民族が自分たちの 国民劇場を作る頃から音楽に対する視野が広がり作曲をするようになる。 交響曲第3番変ホ長調op.10がブラームスの目にとまり出版され外国にも知ら れるようになった。その後アメリカに渡ってからは、交響曲「新世界」、弦楽 四重奏曲「アメリカ」、チェロ協奏曲などが出来あがった。彼は生まれながらの 旋律家でスメタナと共に近代チェコ音楽の基礎を作り上げた。