2004年冬 山のホール演奏会

成川ひとみ ピアノリサイタル

 

服部 芳子  成川 ひとみ

 

ベートーヴェンとシューベルト その詩情豊かな世界         

<3回シリーズ その3>

1212(日) 2:00PM

 

プログラム

ベートーベン  ピアノソナタ 30番 ホ長調 OP.109 

シューベルト  ヴァイオリンとピアノの為の幻想曲 ハ長調 D 934

        ピアノソナタ  変ロ長調 D 960                                                                                                                                                                                                                                                                         

プロフィール

服部芳子

東京藝術大学付属高校及び同大学を経て1967年同大学院修了。 在学中は兎束龍夫、H.ホルスト、W.ハンケの各教授に師事。

1968年西独政府給費生としてハンブルグ音楽大学に留学。W.ハンケ、E.ハウプトマンの両教授に師事。

1970年ベルリンにてメンデルスゾーンコンクール(弦楽四重奏の部)第1位。ミュンヘンにて全西ドイツ音楽大学コンクール、ヴァイオリン部門で受賞。

1971年ブリュッセルにて岡山潔とのヴァイオリンデュオでイザイメダル受賞。

1972年ハンブルク音楽大学国家試験及びソリスト試験に最優秀で合格。

16年間のヨーロッパ滞在中,ハンブルク交響楽団ベートーヴェンハレ管弦楽団、バーデンバーデン交響楽団、ゾーリンゲン交響楽団、スイスイタリア放送交響楽団との協演や各地でのリサイタル等のソロ活動、また室内楽の分野でもヴァイオリン二重奏、ジャパンストリングトリオ、ボン弦楽四重奏団のメンバーとして多岐にわたる演奏活動を行う。

1984年帰国後も積極的な演奏活動を続けている。エレオノーレ弦楽四重奏団メンバー。

愛知県立芸術大学教授

 

 

成川ひとみ

愛知県立芸術大学、同大学院修了、引き続きフライブルク音楽大学にて独奏、室内楽ならびに17,8世紀の鍵盤楽器の演奏法を学ぶ。メンデルスゾーン・コンクール部門 優勝、メンデルスゾーン賞受賞、帰国後は、ソロと室内楽を中心に管・弦楽器との共演多数。アンサンブル・ソノリタスメンバー。現在、山口大学教育学部助教授。

 

プログラムノート  「雑記 2題」

   

もし、ベートーヴェンの聴力が正常だったら…

今日演奏するop.109をソナタとしての形から見ると、かなり自由で独創的です。全体の楽章構成は、曲目解説事典では3楽章立てで解説されていましたが、私は2楽章立てだと思います。その場合、第1楽章はソナタ形式としての分析も出来ますが、むしろバロック期のトッカータかファンタジーの様です。(後半の速い部分に、対位法的要素は余りありませんが。)続く第2楽章は変奏曲で、これは、さすがに変奏曲の名手ベートーヴェンの晩年の成熟を示す出来映えであり、単独で書かれた変奏曲に比べると規模は小さいものの、良くまとまったその内容の多様さと充実感には感嘆させられます。

  一般的に、作曲家がその生涯の内で、充実した創作力を発揮出来る期間はある程度限られていると言われます。ベートーヴェンは例外なのか、並外れて長くその創作力を維持した作曲家なので、ハイドン、モーツァルトと並んで古典派の作曲家として分類されながら、晩年には周囲はもうロマン派の音楽に移行していました。実際、op.109のソナタが書かれた1820年にはシューベルトは23歳、すでにヴァイオリンとピアノの為のイ長調のデュオや五重奏曲「ます」を書き上げているし、ウェーバーは「舞踏への招待」を1819年に書いているし、ロマン派の4人のスター、“メンデルスゾーン、ショパン、シューマン、リスト”も911歳まで成長していたのですから、いくら現代の情報化社会とは事情が違うとは言え、ベートーヴェンの音楽にも、ロマン派の雰囲気が漂っていても良い様に思われます。

   彼の後期のピアノソナタ、特に最後の3曲を眺めてみると、その音楽の世界は、古典派、ロマン派と言う分類から超越してしまっている様に思われます。どうやらベートーヴェンの場合は、世の中の古典派からロマン派への流れとは全く別個に、自己の中で独自に進化してしまった様に見受けられます。自らの音楽の世界に集中し没頭するパワーは素晴らしいものであり、だからこそ並外れた長い創作期間を維持出来たのでしょう。その、意固地な程に自己の内面世界に音楽を求めたベートーヴェンの有り様は、彼の性格ゆえかもしれませんが、ひょっとすると、もし、ベートーヴェンの耳が不自由でなかったら、もっと時代の変化に影響を受けて、晩年の彼の、他に例を見ない音楽の世界は生まれなかったかもしれません。

  

シューベルトの妄執?

   幻想曲ハ長調は、実はヴァイオリンとピアノのデュオのレパートリー中、最高の難曲と言われる作品です。ヴァイオリニストにとっては、それでなくてもヴァイオリン向きでない音型を書く癖のあるシューベルトが、「これでもか・・これでもか・・」と困難を上乗せしてくるし、ピアニストにとっても気の遠くなる程たくさんの音符をフォローするだけでも大騒ぎなのに、加えてヴァイオリンとバランスを取るための音色の工夫も要求され、問題が山積みで頭が痛いです。(とは言え、それでも挑戦したくなる美しい曲ですので、演奏者の冷や汗は見て見ぬふりをして、十分にお楽しみ下さい。)

   さて、他にも体力と精神力の限界を試されるような作品としてピアノ独奏曲「さすらい人幻想曲ハ長調」がありますし、室内楽の作品に名曲で演奏に困難が要求される「弦楽五重奏 op. 163 ハ長調」があり、またシューベルトが死の9ヶ月前にベートーヴェンを意識して書き上げたとされる壮大な交響曲「グレイト」もハ長調です。

シューベルトが「さあ!」と気負って書いた作品が、軒並みハ長調と言うのは一体どうしてなのでしょう…。

シューベルトにとってハ長調は特別な調、言わば「王者の調」だったのでしょうか?それとも、何か他に理由があるのでしょうか?お墓の中のシューベルトと話しが出来たら、是非尋ねてみたいものです。

(成川 ひとみ)