1995年11月19日
中川・斎藤・杉山 プログラム
モーツァルト: ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲   第1番卜長調K.423
1.Allegro
2.Adagio
3.Rondeau
プロコフイエフ: 2つのヴァイオリンのためのソナタ ハ長調Op.56
1.Andante cantabile
2.Allegro
3.Commodo
4.Allegro con brio

ドヴォルザーク:三重秦曲ハ長調Op.74
1.Introduzione
2.Larghetto
3.Scherzo
4.Tema con Variazioni

プログラムノート
☆モーツァルト: 二重奏曲ト   K.423
 映画「アマデウス」以来,お人好しでひょうきん,かつプライドが高いというイメージが定着しているモーツァルト(稚ozart)。彼の伝記には気のおけない友人との逸話が多いのですが,この二重奏曲ではその申でも,彼の株を上げるとびきり美しい友情の話が伝えられています。
1783年の夏,妻コンスタンツェと共に,故郷ザルツブルグに旅行したモーツァルトは,かつての同僚ミヒャエル・ハイドンが病に伏せているのを知ります。
 司教コロラドから依頼された二重奏曲を作曲することができず苦境に陥つているハイドンを見かねたモーツァルトは,代わりに作って助けたとか。 既に「ハイドン四重奏曲」の数曲を書き上げていたモーツァルトの手腕は,この曲でも十分に発揮されており,密度の高い曲となっています。 もちろん軋ハイドンも終生この曲の楽譜を大切にしたそうです。
l日交をあたためたモーツァルト。でも,この旅行の本来の目的であった父や姉との関係修復は,はかばかしくなかったようです。


☆プロコフィエフ月コフイエフ:2つのヴァイオリンのためのソナタハ長調 Op.56
  ロシア革命直後の1918年以来,アメリカや西欧を渡り歩いていたプロコフィエフ(Prokofiev)は,192丁年,9年ぶりの祖国訪問を経て,19333年にようやく生まれ変わったソ連への復帰を果たします。   このソナタはその直前の1932年に書かれました。初演当時「どちらかと言えば奇妙な曲」と許され,その後も演奏される機会は多いと言えません。
 異国での苦悩と母国への希望の光が,複雑な表情をかもし出す中ににじむ,彼ならではの清純なりリシズムと烈しさ −それこそが,彼の見失い かけたロシアの熱い血,力強いエネルギーに違いありません。

☆ドヴサルザーク: 三重奏曲ハー詞0.74
 チエコの作曲家ドヴォルザーク(Dvorak)46才の時の作品(1887)。まじめで勉強熱心だった彼は,若い頃の苦労の甲斐あって,この頃には一部で最も偉大な作曲家と目されるほどになります。
 幸せな結婚生活にも恵まれた彼は,作曲家として最盛期を迎え,スラブ舞曲第2集,ピアノ五重奏曲,交響曲第8番などの傑作を次々に生み出しています。いずれも田園風景の美しさや素朴な幸福感に満たされており,「チエコを代表する国民楽派の旗手」などという音楽史上の華々しいレッテルよりは,むLろ謙虚で温かな彼の人となりが伝わってくるようです。

演奏者プロフィール
◎中川さと子
 東京芸術大学卒業。伊藤美佐子,永田真理子,海野義雄,阿部靖の各氏に師事。第6回中部読売新人演奏家に出演。第1回読売音楽 奨励賞受賞。読売推薦コンサート,電気文化会館アンコールシリーズなど多くのコンサートに出演。ナゴヤシティー管弦楽田コンサー トマスターを経て,現在日本室内楽アカデミー・メンバー。
中部女子短大非常勤講師。

◎斎藤(中川) 明子
 愛知県立芸術大学卒業。大内実名子,伊藤美佐子.近藤フミ子,阿部靖,中村桃子.岡山芳子の各氏に師事。
県芸東日本支部新人演奏会,CBCサロンコンサート,JMAS名古屋フェスティバル秋の音楽会に出演。名古屋室内合奏団との共演を含め, 室内楽やオーケストラで活確中。

◎杉山 光太郎
 東京芸術大学大学院修了。浅妻文樹,日高毅氏に師事.1984年イタリアのフィレンツェに渡り,元イタリア弦楽四重奏同ヴィオラ奏 者ピエロ・ファルツリ氏のもとで研鞭をつむ。同時にフィレンツェ市立歌劇場オーケストラ(マッジョ・ムジカーレ)にてヴィオラ奏 者として活躍。1989年より名フィルのメンバーとして活濯している。

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